7月11日水曜日、午前11時。
水泳番組『プールばなし。』のお時間です。
今シーズンの番組テーマは、
『ロンドン五輪で水泳メジャー化計画』。
現在は歴代五輪で活躍した選手を
ご紹介しています。
今回は「ロンドン五輪」に
因縁の深い歴史的な選手が登場します。
すっかり夏ですね☆
私は週に4回は泳ごう張り切ってますが、
みなさんは泳いでますか!?
シーズン出だしが肝心です。
暑い→水浴びしたい→じゃ〜泳ごう!
この流れで勢いにのりましょう(笑)
今回も過去の五輪で活躍した
「化物選手」の特集です。
伝説の、日本人選手をご紹介しましょう♪
1928年9月16日生まれ。
水泳選手・スポーツ指導者。
まさに伝説の選手です♪
そして、化物でもあります!
当時、古橋さんの通っていた小学校では
浜名湖での遠泳が伝統的に行われていました。
彼は6年生の100mと200mの自由形で、
学童新記録を樹立します!
新聞では「豆魚雷」なる異名を付けられ、
当時の注目スイマーになりました!
その後は中学校へ進学しましたが、
第二次世界大戦、太平洋戦争の激化で
水泳を続けることができなくなります…。
さらに勤労動員として砲弾を作っている際に
左中指を挟まれ切断してしまうんです…。
これには「泳げなくなってしまう」と
相当落ち込んだそうです。
しかし!ここで諦めなかったから伝説なのです☆
大学に入るとなんと水泳を再開!
1947年の日本選手権で400m自由形優勝、
残念ながら公式記録にはなりませんが
当時の世界記録を上回るタイムを出しました!
敗戦国だった日本は1948年に開催された
ロンドン五輪への参加が認められず、
日本水連は日本選手権をロンドン五輪の
水泳競技決勝と同日に開催しました。
古橋さんは400m自由形4分33秒4、
1500m自由形で18分37秒0を出し
ロンドン五輪金メダリストの記録、
なんと当時の世界記録を上回りました!
今年の五輪開催地でもあるこのロンドンに
古橋さんは立つことは出来ませんでしたが、
紛れもなく金メダル以上の選手でした♪
ちなみに彼はその後の学生選手権でも
当時の世界記録を超えますが、
公式には認められませんでした…。
それから1年後の1949年6月。
日本は国際水泳連盟への復帰が認められます。
古橋さんを含めた6名の日本選手は
晴れて全米選手権に招待され、
古橋さんはのタイムは
400m自由形4分33秒3、
800m自由形9分33秒5、
1500m自由形18分19秒0
なんと世界新記録を樹立します!
アメリカの新聞は古橋さんを
「フジヤマのトビウオ」
と呼びました。
敗戦後の日本に光る、希望の星。
古橋選手は偉大な怪物でした♪
その後、日本も五輪に参加するようになりますが、
古橋さんは全盛期を過ぎてしまい、
メダルは獲得できませんでした。
しかし日本の人たちは古橋さんを、
「日本の誇り」として称賛したそうです。
古橋さんは五輪委員や日本水泳連盟役員など、
生涯を通じて日本水泳界に貢献されました。
「古橋廣之進」という偉大な
選手の力があってこその日本水泳界。
そんな彼が泳ぐことの出来なかったのが、
今年開催されるロンドン五輪という地。
メダル、量産してもらいたいものですね♪